「悪がこの世を支配している」
と今まで言ってきました。
そして同時に「神が存在している」とも言ってきました。
そしたら当然、神がいるなら何故、悪がこの世を支配しているのか?
という話になると思います。
人は自分の身や世間い悪いことが起きると神様を責めます。
神がいるなら何でこんな酷いことが起きるのか?
何で戦争や紛争が止まず、飢餓や貧困が地上から無くならないのか?
と、まるで神様がその原因であるかのように。
…でも悪いのは神様ではないですよね。
神様は悪を行う方ではありません。
悪魔が悪を行うのです。
悪魔が人の心を悪へと向かわせるのです。
悪魔の誘惑、とか悪魔に魂を売った、とか良く聞きますよね。
それは本当です。
誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、ご自分でも人を誘惑したりなさらないからです(ヤコブ1-13)。
それではどうして神様はそんな悪魔を放っておくのだろうか。
神なら何故逆らう奴らを滅ぼさないのか。
そういう疑問も湧こうかと思います。
でも実際には神様は悪を滅ぼしています。
悪人の末路が悲惨なのは神様がいらっしゃるからです。
しかし残念ながら、それにも限度がありました。
神様は霊だからこの地上界、すなわち肉体の世界では直接働くことが出来ません。
だから、自分の身体となって働いてくれる人間が必要なのです。
だから悪魔の力の方が、神様の力よりも強力に働いてしまったのです。
だから神様は彼らに臨めませんでした。
神様が偶像を拝むなと言っているのに、マリア像やキリスト像を拝み、
私以外に神はないとおっしゃっているのに、マリアを神にしてしまったクリスチャン達。
真理から遠くかけ離れてしまった彼らに、神様が臨むことは出来ません。
そしてクリスチャン達は殆ど神様に祈りません。
悪魔崇拝者のほうが熱心に悪魔に祈ります。
神様への祈りはすぐには叶えられません。
命に係わるとか、今すぐ叶える必要のあるものは叶えて下さるでしょうけれど、
例えばお金が欲しい、有名になりたい、○○が上手くなりたい、という祈りはすぐには叶えて下さいません。
そうなれるよう努力する為の祈りは叶えて下さいますが、
すぐにそれを与えるようなことはしません。
神様はその人の実力に見合わない、不相応のものを与えるような、そんな生易しい方ではないのです。
神様はあなたが真に実力を身に付けて、その上で成功して欲しいと願ってらっしゃるのです。
そんな神様の心情を分かることなく、クリスチャン達は神様は祈りを叶えて下さらないと、神様に祈らなくなってしまいました。
願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです(ヤコブ4-3)。
逆に悪魔はすぐに叶えてくれます。
世の中が良くなるための祈りは叶えませんが、個人の欲望に沿った願いならすぐに叶えてくれます。
お金でも名誉でも物質でも社会での成功でも。
(その代わり、命の代価を要求します。)
そうやって人々は神様に背を向け、簡単に祈りを叶えてくれる悪魔のほうに行ってしまいました。
レディ・ガガがサタニストなのは有名な話ですよね。
そのようにして、悪魔を拝む人たちのほうが神様を拝む人たちより成功することが出来ました。
真面目に地道に努力する人達を差し置いて、彼らの方が栄え、繁栄していきました。
神様に従う道はどこまでも狭く細い道だから。
だから敢えて、その道を通る人が、誰もいなかった。
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない(マタイ7-13~14)。
しかし今、ようやくその細い道を通ることが出来る人が現れました。
私が薦めているRAPTブログを書かれているRAPTさんです。
RAPTさんは18才でクリスチャンになり、その後神様から25年もの練達を受けられました。
悪魔からの誘惑、攻撃も数々受けられましたが、それらに全て勝利されました。
その結果、命に通じる門を見出し、そこから入ることが出来たのです。
神様の身体となって働く人がようやくこの地上に現れたのです。
やっと神様の力が強力にこの地に臨むことが出来ました。
神様は喜び、悪魔は戦々恐々としています。
神様の力が強力にこの地に臨んでいることをどうやって知ることが出来るのか。
それがRAPT有料記事になります。
*導入部分は無料で読めます。
神様は悪魔を使って私達人類を裁いておられます。
そして特に神様を信じない日本人を裁いています。
日本の繁栄を自分達の力によるものだと驕ったからです。
日本人が優秀だから、と自分達を褒めそやしたからです。
神様は自分を高める者を低め、自分を低める者を高められる方です。
だから神様は私達がへりくだるまで裁かれるでしょう。
神様の力に頼らなければ何もできないと悟るまで、裁かれることでしょう。
怖いですか?
しかし、それは裏を返せば私達を救うためなのです。
裁かれて初めて、人は過ちに気付くのです。
でも裁かれたらそれでもう終わりなんじゃないか、とそう思う人もいるでしょう。
疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(マタイ11-28)。
しかし神様は私のもとに来なさい、とおっしゃって下さっているのです。
裁かれたらそれで終わりではありません。
それで疲れ果ててしまったとしても、神様のもとに行くことが出来るのです。
それはすなわち、私に頼りなさい、ということではありませんか。
この世で一体誰が私に頼りなさい、なんて言ってくれるでしょう。
誰もが自分のもとに来るな、近寄るなと言っている、この愛が冷え切った時代に。
神様だけです。
しかしどうやったら神様のもとに行くことができるのか。
今まで信仰を持ったことが無い人が。
それは神様を信じることです。
まずは、祈ってみましょう。
神様と通じるには祈ることが大事です。
神様があなたのどこに働きかけて下さるのか。
顔でも、手でも、足でもありません。脳に働きかけて下さるのです。
祈りは脳を使いますね。
だから祈れば通じることが出来るのです。
場所はどこでもいいです。あなたが落ち着ける場所を見つけて下さい。
心の中でも、口に出してもどちらでも構いません。
あなたの真摯な祈りはきっと神様に届くはずです。
どうか人ではなく神様に頼って下さい。
人には限界がありますが、神様には限界がありません。
親も子供も、知人も友人も、人はいつかはあなたから離れ去ります。
でも神様はいつまでもあなたと一緒にいて下さいます。
だから私達は決して孤独ではないのです。
悪魔は裏切り殺しますが、神様はどこまでも誠実な方で、あなたを生かします。
だから神様に頼って下さい。
そしてどうかこれから来る終末の時、艱難の時を乗り越えて下さい。
神様に頼ればきっと乗り越えられるでしょう。
スポンサーサイト
最終更新日 : 2021-03-21