バリ・ヒンズー教(以下ヒンズー教)。
私はRAPTブログに出会い、数々のこの世の真実を知ることが出来ました。
その中でも大きかったことが、ヒンズーと仏教が悪魔教だったということです。
これが分かった時の感動は大変大きく、今でもその瞬間を覚えているほどです。
それくらいヒンズーは私にとって忌まわしいものとなっていました。何しろ結婚してこのかたずっと、ヒンズーの中で生活してきたと言ってもいいくらいだったからです。
今はクリスチャンとなりヒンズーから完全に足を洗った私ですが、初めてバリ島に行った時は宗教に全く無知だったのも手伝って、ヒンズーにそう悪い印象は持ちませんでした。
女性たちが髪に花を飾って、綺麗な衣装を着て、綺麗なお供え物(チャナン)を飾り、全てが華やかで綺麗だったからです(見た目に騙された訳です)。
その無知が禍して、バリ人と結婚してヒンズー教徒になってしまった、というわけです。
ただ、ヒンズーが気に入っていたかというと、決してそうではなかった。
結婚するまで2年間バリ島に住んでいたから、その間にヒンズーに関する知識が増え、おかしいと思うことも増えていきました。
だから、例え結婚しヒンズーに入ったとしても(インドネシアでは夫婦は同じ宗教を信仰することが義務付けられています。信仰の無い日本人は大抵相手方の宗教に入ります。)
信じてるフリだけしておこう、と思っていました。
外部向けにはバリのカーストはインドのそれよりも緩いことになっていますが、不可侵領域もしっかりとあります。それぞれの地域と家庭によって少しずつ違うようなので、これがそうだとは断言できないのですが、カーストのある人(高僧、王族、貴族)と無い人(庶民)の差はあります。
例えば、これは私の夫の家族の例なのですが、夫の家は高僧でカーストがあります。夫の弟のお嫁さんはカーストの無い庶民の出です。なのでお嫁さん側の家族は、カーストの高い婿側の家寺の敷地内に入ることが出来ません。そして例え自分の義理の息子であっても、話す時は敬語を使います。
そしてお嫁さんの子供達、夫の甥っ子姪っ子になりますが、彼らは母親よりもカーストが高いので、母親が亡くなっても彼女の為には祈らないそうです。
これを聞いた時はびっくりしました。
(ただこれはあくまでもしきたり上そうなっている、という話なので、実際にはどうなのかは分かりません。何を祈るかはその人個人の問題ですから。)
そして私ですが、私は外国人です。カースト外の人間です。それはバリ・ヒンズーの世界では人間ではないということになります。だからといって動物のように扱われるわけではありませんが、そう見られているのかと思うと、余り気分のいいものではありません。
他にも些細なことですが、洗濯物を干すときは上着は上に、下着は下に干し、タンスにもそのように仕舞う、とか色々とありましたがスルーしときました。
夫は私にバリ的なことは何も要求しませんでした。やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくていいよ、とそういう人でした。そして幸いにも義母も同じでした。
そういう家族だったからやっていけたのだと思います。
実際私は結婚する前から夫にヒンズーに関わることは一切しないと宣言していました。外国人だからよそ者扱いでいいと。
夫の家族に私に下手に期待して欲しくなかったからです。
【一日密着】バリ人主婦のモーニングルーティン。リアルなバリ島のお母さんの日常。
動画のキャプチャ
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お供え物は一日に何十個も作ります。女たちが朝早くから起きて何をしているのかと思えば、お供え物作りだったりするわけです。朝の貴重な時間の大半をそれに費やして、本当に時間と労力の無駄だな、と思って見てました。
それを行うことで本人達が成長したり、幸せにでもなるのならいいのですが、彼らは決して幸せには見えません。
彼らは寺の創立祭や、満月や新月のお祭り、家族の祭事やらと途切れることの無い儀式のため、お金の心配が尽きることがないからです。
バリ・ヒンズーはお金がかかり過ぎる。だからバリ島は観光業で繁栄しているように見えて、実は貧困層が多い。
宗教儀式のために土地家屋を売ったり、他人から借金したりする。神様のために家族を犠牲にし、更には借金までするって、本末転倒もいいとこ。神様がそんなことを望まれるはずがありません。
カルトは金がかかるといいますが、バリ・ヒンズーが正にそれでした。
だけど、たとえそれが分かったとしてもどうしようもありません。ここはバリ・ヒンズーの島。バリ人は自分達の宗教が最高だと思っている。世界中から人が訪ねて来て、自分達の文化に興味を持ってくれるのがその証拠。
そんなところで何を訴えようと、誰も聞いてはくれません。夫にヒンズーのここがおかしいと訴えても、彼を追い詰めるだけ。
日本人なら分かってくれるだろうと思い彼らに訴えても、ここはそういう場所だから、いちいち疑問に思うよりも従った方が楽だよ、って暗に仄めかされてお終い。
でも、それでも自分がおかしい、間違っている、とは絶対に思わなかった。
だって、神様が豪華な衣装を着ることを要求するはずがないし、立派な飾り付けを望まれるはずもない。果物やお菓子だって神様は要らないでしょう。
神様が求めているのは神への真摯さではないですか?
あなたが貧しくて立派な祭祀が出来ないからといって、神様があなたを蔑むでしょうか。祭祀の度に家財を売り払い、借金し、子供達にはロクなものを食べさせることも、まともな服を着せることも出来ない。神様がそれを見て喜ばれると思いますか。神様の前で見栄を張ってどうするのですか。
大事なのはあなたの気持ちです。
この自分の信条に間違いはないと確信していたので、10年近くも踏ん張ることが出来たのだと思います。
ここまでバリの悪い面ばかりでしたが、良いと思える点も幾つかありました。
それはまずお酒を飲まないこと。バリでは女性がお酒を勧められることはありません。結婚式やお祝い事など、人が集まる場で供されるのはお水やお茶、コーヒーです。お酒は出ません。飲めない私は本当に幸せでした。
そして男女の役目がしっかりと分かれていること。男の仕事これ、女の仕事はこれ、とはっきり責任分担が分かれているのは効率的だし、賢いことだと思いました。
こういった良いと思える点に出来るだけ意識を向けることで、大袈裟かもしれませんが、かの地で生きていくことが出来たのだと思います。
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2015年に家族に健康の問題が起き、日本に夫を連れて帰国。
ネット環境が改善され、バリでは探せなかった真実をネット上から探せるようになり、RAPTブログに出会うことが出来ました。
ヒンズーは悪魔教だという記事を読んだ時は本当に感動でした。自分の感覚が正しかったことがついに証明されたのですから。
彼らのあの神霊さの全く感じられない俗物さは悪魔崇拝から来ていた。
これ以上スッキリする答えが他にあるでしょうか。
だからバリ島にはもうずっと戻っていません。夫も戻っていません。至る所に悪魔の像があり、至る所で悪魔崇拝が行われている汚れた場所だからです。霊的に敏感な人は憑依される危険があるので行かないほうがいいと思います。
ただ、夫の家族に会えないことが少し残念です。義母も義弟のお嫁さん達もいつも私の味方になってくれて、とやかく言う親族たちから守ってくれました。彼女たちがいたから、私はある程度自由に振舞うことが出来たのだと思います。
夫は家族とはLINEでやり取りしています。本人がそれで十分だと言っているので、いいのでしょう。
あとは私が彼を伝道できるかどうか。
しかし彼がどうしてもキリスト教の教えを受け入れず私から離れていくなら、その時は仕方ありません。別れるでしょう。
夫よりも大事なのは神様ですから。
神様を信じている限り、夫が去って行っても怖くありません。きっともっといいものを神様が与えて下さるでしょう。
そう信じることが信仰です。だから信仰を持つ者は強いのです。
あとはバリ料理が食べれない事かな。それが残念。サンバル・マタが好きだったから。
バリ島での唯一のお気に入りがバリ料理。それと朝採れたてのドリアン。
(まだあるのかな、お気に入りのワルン・バリ)

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最終更新日 : 2021-03-21