命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
(ヨハネ福音書6:63)
私達は肉だけの存在ではありません。
私は子供の頃、「好き」とか「嫌い」という感情はどこから来るのだろう?と考えたことがあります。
心が感じるのだから心臓からかな?と心臓に手を当ててみたりしました(笑)。
後でそれは脳から来ているのだと教わりました。
でも「好き」「嫌い」って人によって違いますよね。全部の人が好きなもの、全部の人が嫌いなもの、なんてありません。
なら何でそんな違いが出て来るのだろう。この私の感情はどこから来ているのだろう?
脳だとしても、脳がどうやって好き嫌いを判断するのか?
そして今、人間には肉体と霊体があることが分かりました。
だからそれは自分の霊が感じ取っていたことだったのではないかと。
肉体のどこかで感じている訳ではなかったのだと。
霊が脳に信号を送って、それを私がキャッチしていた。
これが分かった時とてもスッキリとしました。
日本人はこの「霊」の存在を知りません。
霊は永遠に生き続けるということも知りません。
だから死後の世界は無い、などと平気で言うのです。
死後の世界を語る人を非科学的だと馬鹿にするのです。
そして死んだ後は何も無くなる、無になる、などと愚かさをさらけ出すのです。
彼らは死んだ後のことを想像出来ないだけです。
想像出来ないから無になるとしか言えないのです。
日本人に自殺をする人が多いのは、霊の存在を知らないからかもしれません。
霊の存在を知って、その霊が永遠に生きると分かれば、自分の命をぞんざいに扱うことなど出来ないからです。
出来るだけ霊をより良く成長させたいと思うようになるのです。
ではどうやったら霊を成長させることが出来るのか。
それは罪を悔い改め、善を行なうことです。
それでは一体何が罪で何が善なのでしょうか。
それは聖書に書かれてあります。
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、その他この類のものです。
…
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
(ガラテヤ5:19~23)
霊界、地上界を含め、この世の全てを治めていらっしゃるのが神様です。
神様が治める国に住んでいるのですから、神様のおっしゃることに従えばその国で幸せに生きていくことが出来ます。
王に従う家臣が重用され、より多くのご褒美を頂けるのと同じことです。
そして実際に神様は私達にご褒美を下さいます。
それが聖霊です。
希望はわたしたちを欺くことがありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
(ローマ信徒5:5)
わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。
それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
(コリント第一2:12)
聖霊とは神様、聖霊様、御子の聖三位と天使の霊の総称で、愛と喜びと希望の霊です。
だから受けると喜びが溢れてきます。
何故ならそこに神様の愛があるからです。神様は愛する人に聖霊を与えて下さるのです。
だから受ければもっと欲しくなります。それを失うまいともっと神様を愛そうと努力します。
そしてそんな人を神様が愛さないはずはありません。
私達が神様を愛すれば愛するほど、神様は聖霊を豊かに送って下さいます。
これが本当の愛です。
この繰り返しで、どんどんと神様との愛が深まっていきます。
神様との愛が深まれば、あなたの霊は成長します。
一番次元の高い方と繋がろうともがくからです。
それが天国です。
誰でも天国に行きたいはずです。
それならまずは、その霊界の王である神様を愛することです。
一番上に存在する方と相思相愛の関係になったら、その方の治める国に入れない訳がないではありませんか。
神様と愛を成す人、これが天国に入れる人です。
私はこれらのことをRAPTさんから学びました。
もっと霊界のことを知りたい方にはRAPT有料記事をお勧めします。
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最終更新日 : 2021-04-12