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私たちを守ってくださる神様の働き

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私が今まで生きてこれたのはつくづく神様のお陰だな、と思います。

特にバリ島時代。

あんな悪霊が跋扈する地でよく9年近くも生きてこれたと思います。

勿論当時はそんなことは、ヒンズーは悪魔教だとは、知りませんでした。

それでも住めば住むほど、ヒンズー的なものが気味悪くなっていきました。

あの石で出来た建築物、ヒンズー寺院、ヒンズーの神々の石像、マントラ、ガムラン、バリ舞踊。

私は最初からバリの文化や芸術が好きではなかったのです。田舎臭くてどぎつくて苦手でした。

同じインドネシアのものならジャワの方がずっと洗練されていて好きでした。

なので意識してバリ的なものは身の回りから遠ざけていました。

家にはバリ人家庭必須アイテムのお供え物を置く祭壇も(名前は何だったか)、バリカレンダーも置きませんでした。

お供え物、チャナンを作ったことも供えたこともありません。

それが結局ヒンズーの神々の怒りをかったのでしょう、身の回りで次々とイヤなことが起こったのでした。

そのことについては過去記事で述べています。



***

私がバリ島でそんな風に暮らしている時、ふと昔見た映画が頭に浮かびました。

「ブラーザー・サン シスター・ムーン」という、聖フランチェスコの生涯を描いた映画です。

主題歌が好きでした。ブラーザー・サン アンド シスター・ムーン♪

YouTubeで探してみたらありました。



そうしたらもう涙が溢れてくるんです。何だろう、清らかさに圧倒されるというのでしょうか。

そう、ヒンズーに求めて見いだせなかった清らかさ

それがここにある。これが私の求めていたものなんだ。

それに感動して涙が溢れたのでした。

映画も、全編ではないですが、アップされていたので再び見て感動しました。

アレックス・ギネス演じる法王との面会場面は圧巻でした。

あのバリ島の遅いネット環境の中、YouTubeなんてそれこそ途切れ途切れで、5分の動画を見るのに30分くらいかかることはザラ

そんな環境の中でよく見続けられたな、と思います(笑)

またある時はジョグジャカルタ旅行の際。

何故か宿泊したホテルの部屋に日英版の聖書がありました。

それが子供の頃に見た映画「野のユリ」に繋がったのでした。

確かタイトルの「野のユリ」は聖書から取ったものではなかったか。

探してみよう、と聖書をパラパラとめくってみました。

そしたらすぐに見つかりました。マタイの福音書6章29~34節。

新約聖書はマタイの福音書から始まるので、すぐに見つけることが出来たんですね。

YouTubeにそのシーンが日本語でありました。
👇


何を着ようか、何を食べようかと明日のことを思い煩うな…

野の花がどのように育つのか…

働きもせず、紡ぎもしない

明日のことを思い煩うな、という言葉が身に沁みました。

当時の私はいつも何かに思い煩っていたから。

さらに聖書を読み進めました。

人を裁くな

求めなさい そうすれば、与えられる

探しなさい そうすれば、見つかる

門をたたきなさい、そうすれば、開かれる

狭い門から入りなさい、滅びに通じる門は広く…

次から次へと聞いたことのある言葉が出てくることに感動しました。

そしてこれらがみな聖書から来た言葉だったことに驚きました。

ここに人生の答えがあると思いました。

というのは私は以前夫に、「ヒンズーには聖書やコーランのような書物は無いのか」と訊ねたことがあります。

ヒンズー教のことをきちんと学びたいと思ったからです。

しかし、夫の答えは「無い」でした。

あるにはあるけれど、サンスクリット文字で書かれているので読める人は殆どいない言われました。

私は落胆し、教えを学べないそんな宗教は嘘だと思いました。

だからヒンズーは宗教じゃなくて習慣だと言うのです。

満月にはこのお供え物、お葬式にはこのお供え物、と重要なのは教えよりも儀式です。

私はそれがとても物足りませんでした。

そんな私だから神様が聖書に導いてくださったのだと思います。

それまで何を着ようか、食べようかと思い煩っていた私。

見つかるはずがないと、探すこともあきらめていました。

でもそれではいけなかった。

私はホテルのメモ用紙にそれらの一句一句を書き留め、持ち帰りました。

そして何かあるごとにそれを取り出しては読み返したのでした。

ヒンズーでは決して得られなかった答えを見つけました。

聖書通りです。

探したから見つかったのです。

神様は直接私の命を守ってくださったこともあります。

バリでバイクに乗っていた時に一度だけ、本当に轢かれると思った出来事がありました。

私がジンバランからヌサドゥアに向かうバイパスをバイクで走っていた時のことです。

当時はまだ渋滞もなく、広いバイパス颯爽と気持ちよく走ることが出来ました。

そんな時、私の目に今から横切ろうとしているバイクが飛び込んできたんです。

それもかなりのスピードで、このままいったら絶対に私とぶつかるタイミングで、脇道から侵入してきました。

私が見えないの⁉

一瞬頭の中が真っ白。

「もうダメだ!!」と覚悟を決めたその瞬間

間一髪、バイクは私の真後ろを走り抜けていったのでした。

向こうもヒヤッとしたのだと思います(当たり前)、急ハンドルで衝突を回避したようです。
 
もう本当にスレスレでした。

私の心臓はドキドキ、バクバク、ハンドルを握る手はガタガタ震え、ぼうぜんと運転しながら

「どうやって助かったんだろう…」

自分がまだ生きていることに驚いていました。

バリというかインドネシア、本当に無茶な運転をする人が多いんです。

あの運転手、全くこちら側を確認せずに無謀もいいとこで、よく転ばなかったと思います。

あのスピードで急ハンドルしたら普通バランスを崩しますよ。

そしたら当然私も巻き込まれていたことでしょう。

神様が守ってくださったとしか思えません。

でも、このように神様に守っていただいているのは私だけではありません。

みんなそうです。

みんな人間は自分一人で生きていると思っているけれど、違います、神様が守ってくださっているからこそ、無事にここまで生きてこられているんです。

振り返ってみれば誰でも危ない思いをしたことがあると思います。

あの時、良く無事だったな、ということがあると思います。

それは神様が守ってくださったのです。

神様は万能なので、全ての人の上に働きかけることが出来ます。

あなたが善良に生きようとしている限り、極悪人でない限りは、神様はあなたを守ってくださっているのだと考えてください。

よくご先祖様に感謝します、と仰る方がいますが、その理屈だとそのご先祖様を守ってくださったのも、ご先祖様です。

そうやって先祖をずっとずっと遡っていくと、最後はどこに辿りつくでしょう。

考えたこと、ありますか?

ミトコンドリア?(笑)いえ、進化論は嘘です。

私たちはミトコンドリアであったことも、サルであったこともありません。

行きつく先は神様です。

私たちを創ってくださった神様が私たちの先祖なのです。

だからこそ神様は私たちを守ってくださるのです。

神様に、感謝しましょう。




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