人間は神様によって完璧に作られている。
▼未だに大勢の人がマスクをしています。
彼らは一体何を怖がっているのでしょう? 夜道を一人で歩いているのに付けている人もいます。
私はコロナ当初からずっとマスクはしていません。
パンデミックの最中は場所によっては付けざるを得なかったりしましたが、それでも外を歩く時は常に外していました。
それは元々マスクが好みではない、ということもありますが、何よりRAPTブログによってコロナが茶番だということを知っていたからです。
次に、自分の健康のためです。
呼吸を妨げるマスクは健康な人には百害あって一利なし、無用の長物ではありませんか。
私たちには既に天然のマスクが備わっています。
それが鼻です。
鼻はフィルターの役目をしてくれる私たちの身体の重要な器官。空気中の微生物やホコリなどが体内に入るのを防いでくれています。
それに私たちには免疫という病気から体を守ってくれる機能もあるし、一体どこにマスクなんてちゃちなものに頼る必要があるでしょう。
マスクで感染対策なんて、それこそ神の叡智を侮るものだと思いますよ。
私たち人間はそれだけで完璧な存在なんです。神に創られた、どこまでも精密に出来たコンピューターのようなものなんです。
そうなんです、私が一番マスクを付けたくない理由、それは私たちを作ってくださった神への冒涜だと思っているからです。
神様は人間を形作った後、鼻に命の息を吹き入れられ、それによって私たちは生きる者となりました(創世記2章7節)。
神様は人間が呼吸をすることで生きられるようにお作りになった、ということではないでしょうか。
当たり前のことのようにしているこの呼吸は、実はすごい神の叡智なのです。
その神の叡智である呼吸が完璧でない訳がないではないですか!
だからマスクなんかで鼻と口を覆いたくはないのです。
マスクなんてたかが人間の考えに過ぎません。神様の考えの足元にも及ばないと思いませんか?
塵ですよ、塵。
よって、私は自分が風邪で咳き込んでいる時以外は、これからもマスクを付けることはないと思います。
*マスクしてたら花の匂いも分からない♪
マスクを付けない最後の理由は、出来るだけ神様が与えてくださった顔を隠したくない、ということです。
顔に自信があるということではありません(笑)、神様を悲しませたくないということです。
自分の子どもが自分の顔に自信がないから隠したい、と言ってきたら親はどう思うでしょうか。
悲しくなるのではないでしょうか。
そういうことなんです。
私だって自分の顔には自信がなくて、いっそ隠せたら楽だろうな、と思うことはあります。
でもそれは気持ちがネガティブになっているよ、っていうサインなんですね。
だから放置せずに、極力切り替えるように努めます。
ネガティブな感情はサタンから来るものなので、陥ってしまうのは危険だからです。
何より、私の顔は神様が私だけに与えてくださったもの。
だから自信がないなんて言わずに、感謝して受け取るべきですよね。
人間の美しさも、神様が与えてくださるものだと思います。
残念なことに、マスクは欧米ではもう誰も付けていませんが、アジアの一部の人たちは未だに付けているようです。
やはりキリスト教文化圏の人たちのほうが、仏教圏の人たちに比べて真理に強いですね。
神の目を気にする民族と、人の目を気にする民族の違い、とも言えるでしょうか。
神を信じるか信じないかで、人生が180度違ってきてしまいますね。
マスクをしている人と、していない人。
どちらが堂々としているか、自信を持って生きているか。
そしてどちらがより自由で幸せに生きているか。
マスク信仰に縛られ、生き方も社会同様窮屈になってしまっている多くの日本の人たち
今一度、このことを真剣に考えてみて欲しいです。
神様を知らずに生きることがどれだけ不幸なことか、是非とも知っていただきたいです。
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